1996年「久高島キュージックキャンプ」のポスターに使われた写真です。場所は沖縄の西海岸、北谷町。手に何も持たずポケットにも入れないで、絵になるのは難しいもの。二人の魂の出会いです。この前日近藤さんを久高島へ案内していましたが、まさか久高島でコンサートを行えるようになろうとはこの時、誰も思いませんでした。

 

 

林昌さん指定のコザ(沖縄市)の喫茶店で打ち合わせをした後、写真を撮りに行きましょうと話すと「近くに‘子供の国'があり、その中に古い民家が展示されているよ」と教えていただきそこで撮りました。大勢の子供達が遊んでいる中を大人5人がプラプラ歩いていても子供達の視界には入っていませんでした。

 

 

ここも子供の国だったのか・・・思いだせない。

 

 

トップのポスターに使われた写真と同じ場所、北谷町。この写真を今回のCD「沖縄の魂の行方」の表紙として使用しました。林昌さんの自然な笑顔が素晴らしい。

 

 

この時は5月のゴールデンウイークでした。映画「極道の妻たち 危険な賭け」の収録を終え(バイトだと話していました)関西の伊丹空港から那覇へ来られた近藤さんにとって、25年間憧れ続けた林昌さんとの始めての対面でした。全ての撮影を終え、それでは10月の本番でお会いしましょうと握手。

 

 

本番へ向け一週間前に近藤さんは久高島へ入りました。実は上の写真の時点では久高島で行う計画ではなく、本島南部にある斎場御嶽の前にある駐車場の予定でしたが、最後の最後に許可が得られず、それならば神様のお膝元でやらせてほしいと島の青年会の皆さんに協力をいただいたのです。5月に近藤さんを島へ案内していて本当に良かった。

 

 

島の青年会の皆さんが歓迎会を催してくれました。お酒が好きでハートの熱い方々ばかりで「島の皆さんに受け入れてもらえるだろうか」と心配していた近藤さんの悩みはいっぺんに吹き飛んだと話していました。

 

 

いよいよ本番当日96年10月12日(土)。前日まで一週間晴れが続いていましたが当日は朝から強風に大雨。昼過ぎに少し止みましたがその時の様子でしょうか。当初の予定は9月28日(土)満月の夜でしたが、ある方から「もしその日に台風が来ても翌週の5日(土)に変更は出来ないよ、その日は島の運動会があるから。ならば初めから二週間後の12日にしたら」と言われたのです。そして本当に28日に台風が来てその通りになったのです。驚きでした。

 

 

久高島のバイブレーションと一体になりたいと、一週間前から島へ乗り込んでいた近藤さんが林昌さんを徳仁港(とくじんこう)へ出迎えに。予定していた船よりもかなり早い便で来られ皆、緊張しました。対岸の馬天港にいるスタッフから「大変です。林昌さんがもう来られました」との電話があり、朝からの大雨で弱気になっていた僕達を奮い立たせてくれました。「大丈夫、晴れるよ。出来る。」と言っているかのようでした。

 

 

近藤さんが傘を持って駆けつけましたが、林昌さんが船から上がられたときは止んでいました。林昌さんの顔が強張っているように見えますが、そうではないことが後々分かりました。泡盛を飲んでいてご機嫌なときでも一瞬このような表情をされました。癖だったのでしょう。

 

 

徳仁港全景。

 

 

久高小中学校のグラウンドでコンサートが行われます。ステージ(と言ってもグラウンドが一段高くなっているだけ)を飾るためのアダンの葉を切っているところです。

 

 

久高島にあるものは小石といえ持ち帰ってはいけません。植物を切ったり持ち帰るのも絶対に駄目ですが、島の人々は別です。上の写真もそうですが島の皆さんです。

 

 

なにも飾らずにそのままのこんもりしたステージで行う予定でしたが、青年会の皆さんがそれではあまりにも面白みがないと、やってくださいました。感謝。

 

 

テント村。ミュージックキャンプの「キャンプ」とはこのためです。久高島から本島への最終便は当時17時でした。コンサートは19時から始まりますので、観客は島へ宿泊することになりますが宿泊施設が少ないためにテント約30張りと毛布を用意しました。どうしても帰りたい方々へは島の青年会の皆さんが漁船を出して送って下さいました。

 

 

徳仁港から上がりお茶を飲んで一息ついたあと、いよいよ緊張の七嶽御巡―いです。(ななたきうまーい)

 

 

コンサートの成功と、島の一部をお借りする許可を神様にいただくために祈ります。

 

 

コンサート会場、島の小中学校グラウンドでもお祈りします。

 

 

右端、傘を林昌さんへさし、少しだけ顔が写っているのが息子さんの林二さんです。

 

 

緊張の面持ちの近藤さん。氏にとっては何から何まで始めての経験のようでしたが深く感動していました。後ろは 琉歌(つらね)の比嘉いずみさん。

 

 

左から林二さん、林昌さん、「おもろ」の安仁屋真昭先生、スタッフ、近藤さん、比嘉いずみさん。出演者全員集まって祈ります。

 

 

コンサート会場入り口。

 

 

沖縄テレビのインタビュー。「人間が学ぶ所は都市ではなく自然である。この島にいると自分がシンプルになっていく。」イスラエル、マチュピチュと音楽巡礼してきた近藤さんらしいコメント。翌日のニュース番組で演奏と共に流れました。

 

 

お祈りも終わり、機材のセッティングに入ります。テントを張っているのは時折小雨が降っているためです。

 

 

 

林昌さんの音だしが始まりました。スタッフTシャツに着替えておられて感動しました。

 

 

林次さんとのサウンドチェック。林次さんもスタッフTシャツを身に着けてます。

 

 

沖縄民謡の神様、にふさわしい神々しい写真。

 

 

琉歌(つらね)の比嘉いずみさん。「林昌さんや近藤さんと同じステージに立てるなんて」と凄く緊張していました。

 

 

コンサートの始まり。聖地という場所柄、司会を置くと場の空気が乱れると思い、琉歌を司会の変わりとしました。比嘉さんの赤い立ち姿が幻想的でした。ライブ映像から動画が見られます。

 

 

ある民謡関係者がここ数年で最も良い声だったと話していましたが、聖地・久高島への思いが溢れたのでしょうか。現状では最後となっている78年のイザイホーを、林昌さんは久高島へ来て見られたそうです。唄い始めると島の風が林昌さんへ向かってきました。

 

 

息子さんの林次さんがやさしく伴奏しています。時折目や手で合図をされていました。

 

 

近藤さんがニューヨークへ始めて渡った20代後半、鞄に林昌さんのカセットテープを入れていったそうです。二人のセッションはありませんでしたが、近藤さんは久高島の自然、神様、そして林昌さんとの魂の交感をしていたと思いました。そしてこの時雨は完全に上がり、会場の真上だけが円のように雲が抜け、星が出ていました。

 

 

近藤さんの演奏は後日、琉球新報にこう掲載されました「最初は伝統と反目していた異質の音は、海からの風を受けて徐々に環境と調和していき途中、琉球音階のフレーズが奏でられたとき、混沌(とん)が融合へと姿を変えたのを私たちは見た」と。詳しくは「久高島ミュージックキャンプ」をクリックして下さい。

 

 

演奏が終わり観客、他からの花束の贈呈がありました。左は残念ながら今回のCDへの収録は叶いませんでしたが「おもろ」を唄われた安仁屋真昭先生です。

 

 

このコンサートに最大の協力をいただいたのが久高漁業振興青年会の皆さんでした。その会長(当時)福治友盛さん。「神の島・久高島に新しい風が吹き、、、、渡りました」と朴訥な話し方に会場から笑いと拍手が起こりました。 そしてなんと巻紙を開き琉歌を詠まれ「それでは15分後に久高島ミーティングが始まります」と宣言。味わい深い琉歌と歓声、こちらも動画で楽しめます。

 

 

「久高島ミーティング・話し物語」が始まりました。コンサート本番を超えてイベントの個性を獲得していたと新聞は書いていましたが、島の風と泡盛が心地よく林昌さんと近藤さんが掛け合いで唄いはじめ「おじぃ、大好き」と黄色い声も飛びました。

 

 

泡盛が進みご機嫌な林昌さんは隣の比嘉さんに「ダー、チゲー。ナーヒン」(注ぎなさい、もっと)と要求します。  冗談を連発しながらも時折「自分は大丈夫だと慢心しているとこの島に見捨てられますよ」とも。そしてまた「ダー、チゲー。ナーヒンチゲー」どんどん泡盛が進みます。

 

 

「話し物語」最大の盛り上がりのカチャーシーが始まりました。闇のなか数百人がうごめく(踊りまくりの)古典的レイブかトランス状態か。是非、動画をご覧下さい。

 

 

カチャーシーが終わり林昌さんは宿へ戻られましたが、近藤さんを囲み車座になり朝まで話し物語は続きましたがなんと、青年会の皆さんから泡盛のおつまみにサザエのつぼ焼きが全員に提供されました。まだ400人以上は残っていたと思いますが全員にご馳走していただいたのです。久高島の皆様、10年前のことですがあらためて本当にありがとうございました。

 


 

撮影・嘉納辰彦 

プロフィール 1952年那覇生まれ。79年、神奈川県民ギャラリー「今日の写真・展」出品。「視覚の現在・'79写真展」(ダイナハ/那覇市)出品。沖縄県芸術写真部門で県教育長賞。81年、県芸術写真部門で『拝所』が県知事賞受賞。90年個展、南米のウチナーンチュ、95年、「もうひとつのウチナー」(那覇市民ギャラリー)。97年、写真展久高島ミュージックキャンプの記録(久高離島振興総合センター)。02年東京吉祥寺伊勢丹で沖縄の祭り。03年山形国際ドキュメント映画祭関連イベント太陽の果実沖縄写真ラプソデイ展出品。「もうひとつのウチナー」をライフワークに、移民で南米へ渡ったウチナーンチュをシリーズで撮り続け、07年にもブラジル取材を計画している。