久高島とは
沖縄本島南部、知念半島の東方約5.5kmの太平洋上に位置する。面積1.39km2・周囲7.75km。知念村に属し、1島で宇久高を構成。最高標高17.1mの細長い平坦な島で、琉球石灰岩からなる。人口247名。
久高島は琉球開闢神話でアマミキョの上陸地とされ、五穀発祥の地としても知られ、神の島とされている。島の中央部西海岸寄りにコバウノ森・中森ノ嶽があり、コバウノ森は、琉球開闢神話でアマミキョが作った御嶽の一つである。またカベール森はアマミキョ降臨の地とされている。
「由来記」には、2月麦のミシキョマ(麦初穂祭)の時、一年おきに国王が久高島へ行幸することが見え、それはアマミキョが天に上り五穀の種子を乞い下り、初めて麦・粟・菽・黍数種を久高島にまいたことに由来するとある。また、同書には五穀の入った壷が久高島伊敷浜に流れつき、春になってできた麦を王国に献上したことから、隔年に一度の国王行幸が始まったとも伝える。国王行幸の際に、どのような儀式が行われたかは未詳だが、王府の祭礼には、久高ノロと外間ノロが島の神女を神祭の広場(神庭)に集めて、盛大な儀礼を行ったと思われる。「おもろさうし」巻22?31,No.1538は祭祀の際の神庭での情景を謡っている。
一、くたかあつめなに(久高の集め庭に)
くせきよらか(寄せ清らの)
けおのうち(霊威の内)
あらさきの やくめ(新崎の畏さ)
又、ほかまあつめなに(外間の集め庭に)
このオモロは、題に「久高外間御殿にて御規式の御時」とあり、王府祭祀が行われる集め庭(神庭)は、寄せ清ら(奇すしく美しい)神女の司る霊威のあらたかなところだと謡っている。
現在島全体では一年間に27回の祭祀行事がある。12年ごとの午年に行われる重要な祭祀行事イザイホウは、島の女性たちが山ごもりをして神女(女性神職者・ナンチュ)になる古代琉球の神事。その要因の新規採用がイザイホウであり、イザイホウの資格者、すなわち祭祀集団への入団資格者は、丑年30歳から寅年41歳までの女性で、島で生まれ育った者とされている。1990年がその年となっていたが中止され、1978年のイザイホウが最後となった。

明治36年土地整理事業完了後も、島には土地共有制が残され、現在でも地割の遺構が見られる。
私有地は、ノロ・根人が世襲する土地だけに認められた。エラブ岩では旧暦6?12月までエラブウミヘビの漁が行われ、燻製にされる。このような周辺のエラブウミヘビの生息場の漁業権をノロや根人、村頭がもち、漁獲物は彼らの収入源となった。島民は伝統的に海事に長じ、古くは中国への進貢船、薩摩への楷船、飛船の船頭や水夫となって活躍した。第二次世界大戦前は、多くの漁夫たちが台湾の東海岸や奄美大島(鹿児島)へ丸木船を組んで出漁していた。昭和43年送電線の海底ケーブルが敷設されて全島が電化された。昭和53年久手堅海岸(知念半島)と久高島との間に海底送水管が敷設され、水不足も解消された。昭和56年那覇病院付属久高診療所開設。無医地区解消。平成8年、久高小・中学校は創立(明治39年)90周年を迎えた。