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30年近く琉球弧の祭祀を追い続けてきた写真家、比嘉康雄氏の写真集「神々の古層」をご紹介します。
この写真集は全12巻ありますが、その中で久高島をテーマにした1巻、2巻、5巻の計3巻より各巻5枚ずつ計15枚を写真中に「SAMPLE」という文字を入れることで出版社であるニライ社様の了解をいただきました。それぞれ画質を若干落としておりますが、この写真集の圧倒的な存在感は充分に感じていただけることと思います。
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比嘉康雄 プロフィール
1938年移民の子としてフィリピンに生まれ、敗戦後沖縄に引き揚げる。58年コザ高等学校卒業と同時に警察官となり嘉手納署に配属。鑑識の係りとして始めてカメラを手にする。当直をしていた68年11月19日未明の米軍機墜落事故を転機に退職。東京写真専門学校に学び、71年、卒業と同時に銀座で写真展「生まれ島沖縄」展開催。75年、西銘シズさんと出会い、以来久高島には百回以上通いイザイホーをはじめ久高島の年中祭祀を丹念に記録。76年、「おんな・神・まつり」で第13回太陽賞受賞。84年インドネシア・バリ島で主にシャーマンを見る旅へ。85年中国貴州省、86年雲南省へ少数民族を見る旅に。86年青森県弘前市に1年間単身移住。主にイタコ・ゴミソの世界を撮影。 93年、『神々の古層』全12巻(ニライ社)完成。この作品は93‘風土研究賞、93'日本写真協会年度賞、第14回沖縄タイムス出版文化賞、第5回小泉八雲賞、第16回沖縄タイムス芸術選賞大賞を受賞した。他に、「神々の島 沖縄久高島のまつり」「琉球弧女たちの祭り」「神々の原郷」など多くの著書を残した。2000年5月13日逝去。享年61歳。
『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』(集英社新書 同年、5月22日)刊行、遺作となる。
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 ミリリツにおいてティルルを歌う神女たち。
先頭が外間ノロ・ウメーギの西銘シズさん。
後方(右)外間ヌル、(左)久高ヌル (〈フバワク〉1975年)
西銘シズさんの死は、琉球弧の女たちが何百年にもわたって連綿と伝承してきた、「精神の古層」ともいえる、動かない文化の最後の拠り所が、崩れていく予兆であったのかもしれない。
とまれ、久高島の年中行事は、祭祀のプロセスが部分的に省略されてはいるが、今日でも毎月、欠かすことなくつづけられている。
このような久高島の祭祀の状況は、たとえるならば、ところどころ枝が枯れてはいるがまだ根っこが大地に生えている古木の状態にある。私はこの古木の女性主体の精神文化をこれからも、男性主導の近代文明を考えるよすがにするために、見つづけていきたいと思っている。『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』 (集英社新書) 比嘉康雄
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御嶽へ向かう神女たち 1975年 |
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アグルラキでティルルを歌う神女たち 1978年
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御嶽から集落へ向かう神女たち 1978年
磁場を失って、右往左往しているんです。磁場というのは土地性。それは自分たちの祖先がつくってきた濃密なものだ。
現代人はその磁場を失って狂いっぱなしの状態にある。その現場に私たちは立ち会っているんです。
『戦後50年それぞれの現場から』 沖縄タイムス 1995・1 / 13 比嘉康雄 |
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フボー ウタキ 神酒をいただく神女たち 1975年
いつも私は一人で祭祀にたちあった。嵐や光の中で神女たちの神歌や振る舞いが意味するものを全身で受け止めて立ち会えたことは、幸福な体験であったといわねばならない。
『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』 (集英社新書) 比嘉康雄 |
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新タムトゥのシマジクまわり(粟の収穫儀礼のときにおこなわれる)1976年
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シマをまわるヤジクたち 1976年 |
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草束をふる外間ヌルとウメーギ 1976年
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礼拝をする外間ヌルとウメーギ 1976年 |
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神の内容というのは愛護だと思う。無心の愛が神だ。それは母から娘へと受け継がれ、三代で完結する。そして権威を作らないことが愛の理想になっている。
『戦後50年それぞれの現場から』 沖縄タイムス 1995・1 / 13 比嘉康雄 |
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久高島における墓は肉体を消滅させるための場所である。そのとき魂は(マブイ)煙(ヒブイ)となって飛翔し、ニラーハラーへ行くのである。そうしてイザイホーを経験した神女(タマガエー)たちは、ふたたび島の守護神としてシマの御嶽(ウタキ)に還ることになる。
『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』 (集英社新書) 比嘉康雄 |
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イザイヤマから庭に入場するハタ神
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ユクネーガミアシビ全景
近代では人は死ぬとすべて終わりと考えるのが普通のように思われているが、琉球弧の古い祭祀にある考え方は、人間は生まれながらにして魂というものを持って居り、肉体は滅んでもつまり死んでも魂は不滅と考えられていて、その魂は子、孫等に直接または間接的に再生すると考えられている。つまり生と死は循環しているのである。この世とあの世は表裏の世界で、海などをはさんでつながっていると考えている。又あの世とこの世は神人という存在を通していつでも通行出来ることになっているのである。このような終わりのない連続の世界観を一言で言うとすると、私は卵のような丸い球体の世界観と言いたい。この琉球弧の古い祭祀に表現されている球体の世界観は、進歩を第一義とする近代を考える時に重要なよすがになると私は考えている。
『球体の世界観』 比嘉康雄 |
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朱リィキィ 朱リィキィが終わり整列するヌル、ハタ神たち
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朱リィキィ 朱リィキィアシビ全景 |
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ハーガミアシビ全景 ハタ神たち
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イザイヤマから庭に入場するハタ神 |
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