久高島のライブが始まると、それまで降っていた雨が止んだようで、気がつくと空には星が輝いていました。久高島は神の島と聞いてましたが、きっと神様に受け入れられたライブだったのでしょう。忘れられない一夜でした。
東京 多介子
こころの中に溜まった何かが「すーっ」とぬけていくような、体が宙に浮いているような、ライブでした。
それと沖縄民謡の巨人の凄さ、をあの久高島のライブ で感じれてよかった、と思います。
那覇 真人
「漁船ですか!?」この荒れた海を目の当たりにして、漁船で島まで渡れとは・・・・浮世の義理で半ば強引に、とはいえ、わざわざ東京から飛行機に乗ってやってきたのだ、ここで帰れば男がすたる! 意を決して船に乗り込んだが、旅行をかねてのライブ鑑賞の甘い気分は波しぶきと共に吹っ飛んだ。 さすが神の島、あなどりがたし!揺れた船の中で雨を避けようと船内に縮こまっていると、舳先には雑誌か何かで見たことがあるようなお年寄りが・・・ この雨夜の荒れた海の漁船の上で、びしょ濡れになりながら不思議にもそれを楽しんでいるような・・・このコンサートを企画した人 (私の知人だが)が変わり者だと変わった人が来るものだ、「類は友を呼ぶ」というやつか、、と思いながら島への無事の到着を祈った。
後で、そのお年寄りは朝日新聞の前社長だと知った。(挨拶しとけば良かったかな?)
東京 橋倉
近藤さんがやった広島の音楽祭も私は行きましたが、
広島は地上でのライブ、でも久高島でのライブは天上でのライブだったという感じでした。
福岡 夏子
島で不思議な体験をした。あの夜の、僕は音の洪水と風のいざないに出会った。
東京 橋本 隆志
僕が沖縄に初めて行くことになったのが、久高島でのトランペッター近藤等則さんと嘉手苅林昌さんのライブだった。 近藤さんのファンなので当時はほとんどのライブは行っていた。 以前から行きたかった沖縄、それも久高島という神様が降りて来たという神聖な島でのライブ(しかし嘉手苅林晶さんは聴いたことがなかった)に興奮して行ったのを覚えている。そして実際のライブは想像以上だった。記憶では演奏が始まると海から気持ち良い風が吹いて来た。その時やはりこのイベントは神に祝福されていると直感した。現われた林晶さんはとても格好良かった。背筋がピンと張り決まっていた。そして演奏にしびれた。 声、三線の音色が島を優しく包み込む。曲の間の話は僕には全く理解出来なかったが解る人は受けて笑っていた。僕もつられて笑ってた。優しい笑い、林晶さんのファンは心から演奏を楽しみにしてたんだなと思った。演奏聴いて一発で好きになった。林晶さんの発する声と三線には喜怒哀楽を通り超し、自然そのものといった感があると思った。そして近藤さんの演奏、ペットの音は宇宙の果てまで響き渡りいつも以上に素晴らしかった。この沖縄、地球にとって重要なイベントを見ることが出来、本当に幸運だと思っている。そしてこのイベントを開催された全スタッフの方々に感謝します。
東京 斉藤育宏
終始昂揚気分で極楽気楽なお祭り。音と人と自然のジョイント、島全体が最高のバイブレーションにつつまれた素晴らしい島レイブだった!よ。泡盛も美味かった。
東京 末武
近藤さんと林昌さんが沖縄の小さな島でコンサートをやると、東京のライブハウスで知ってこれは絶対に行かなきゃと、友人4人で3日前に久高島へ渡ったのね。それで色んなところで泳いでいたら、島のお婆さんに「そこは神様のところだから泳いでは駄目」と言われて初めて、ここが神の島と知ったの。何も知らなかったのよね。東京でもいろんな島唄を聴いていたけれども、久高島の林昌さんで始めて島唄を知ったように感じます。島唄が好きな知人に「林昌さんは神様のような人だ」と言われていたけれども、特に島唄フリークではなかったので「ふーん、そう思う人もいるんだ」位の感想でした。だけど浜辺を登っていたら上のテントから紫の絣に各帯締めてタバコをくわえて出てきた林昌さんとばったり会ったときは神様に出会ってしまったような気分だった。幻想的な感じだったもの。女がほっとかないっていうようなおじいさんね。ご自分でも話されていたもの、お婆さんたちに三線教えているって。週に一回かな、どこかのマンションで6,7人に教えているって。
コンサートの前に林昌さんとお話したのよ。標準語で話してくれたわ。島唄は聞くものではないよ唄うものなんだとか、私が東京から来ましたって言ったら、昔、青梅で夜具の製作所で働いていたよ、布団の中の生地を作る手伝いをしていたととおっしゃっるので、私の実家は青梅の近くで蕎麦屋をしていますと話したら笑っておられて、久高島のコンサートが終わった後でお蕎麦をお送りしたらお礼状が届いて感激したわ。
それから息子さんの林次さんが毎日唄っている民謡酒場を教えていただいので、翌日だったかな行ったの。こっちは東京の感覚だから夜の7時頃に「遅く着いちゃったなあ」と思っていたのにいつまでたってもお店の電気もつかないでしょ。10時頃と聞いてびっくりしたもの。
一回目の演奏を終えて浜辺近くのテント、あれ楽屋よね。たまたまそのすぐ近くにいたのだけど、そしたら林昌さんの声が聞こえてきたのよ。なにか林次さんと次の曲の打ち合わせをしているようなね。そのときにポロンポロンと聞こえてきた三線のチューニングの響きがもう最高だったわあ。夢見心地ね。
本島のホテルに荷物を預けていたのだけど、ホテルの隣がパン屋さんでとてもおいしくて、私たちがパンを買っていたら、その店のオジイサンがあんたたちどこに行くって聞くので、これから久高島で林昌さんのコンサートに行くんですって言ったら、「ああ、じゃよろしく言っといて」と言うので、林昌さんに伝えたら「オレ元気だから」と伝えてくれと言われたからちゃんと伝えました。なんかホントに友達だったみたいよ。
帰りにマルフクレコードで友達から借金して、ありったけの林昌さんのCDを買いあさって帰ったのよ。でも、近藤さんは最高だったでしょうね。何十年も前から憧れていた方と、ステージをご一緒できて、たまらなかっただろうと思うわ。
東京 野島
あのコンサートは久高島の歴史に残る出来事だった。今、久高島はどこへ、どういう方向へ向かっていくのかと、四苦八苦している状態なんだけど、コンサートの意味が出てくるのはこれからだと思う。あれから10年経ってやっとこれから意味が出てくると思う。
海ぶどうの養殖などで職場は少しずつ増えてきているし、久高小中学校は今、県外から14名の留学生を受け入れ全校生徒で50人。あの頃より増えている。あの翌年か翌々年くらいにイラブーは捕らなくなったんだけど、今年からイラブー捕りがまた復活した。
ただ、深刻なのは環境問題。全国的な道路工事や公共工事などの影響か、珊瑚が死んできているし、近場での漁業が難しくなった。
お酒を飲んだときの林昌さんの三線が好きなので、「話物語」は最高だった。自分も三線弾くからコザの中の町で民謡酒場に行って林次さんと飲んだこともあるよ。だけど、あれほど味がある人はもう出てこないだろうと思う。
コンサートが終わった時間は定期船はもう終了していたので、本島へ帰りたいというお客さん達のために夜、漁船を出したんだけど、初めてで大変だった。10何艘が出たけど、さんご礁を避けるため、先頭の船の後を次々と後ろの船がついていってね。船を出す前に船長全員の飲酒チェックをやった。少しでも飲んでいるように感じた船長は交代させたよ。お客さんが皆さん無事で帰られて本当に感謝したね。
何度も言いたいけど「久高島ミュージックキャンプ」には、ほんとうに『ありがとう』という気持ちです。
久高漁業振興青年会会長(当時) 福治友盛
